①「感覚を映像に記録する」という作業の中で、「撮る」「編集する」「文章を書く」という行為をあなたはどのような流れでおこなっていましたか?(直感的なのか、それとも考えてから撮るのかなど、この作業への向き合い方について教えて下さい)

次の瞬間には消えてしまいそうな光や色合いに思わずカメラを回していた。

日々どんな映像を撮ろうか思案していたが、実際には計画的より衝動的に撮ったものの方が良い映像となった。

編集にはその時、心が動かされた様子が反映した。

編集したものを客観的に見て、普段から感じているような事や、思いついた事を言葉にした。

②撮り溜めた自身の記録を見て、何を感じますか?何かパターンがあると思いますか?

ありふれたものがくっきりと浮かび上がるような時、ぼやけていくような時の瞬間を探している。実際に目にしている映像よりも滲んでいるような様子が多い。

③このアーカイブ作業を通して変化したことはありますか?

時間帯や天気や季節による色合い、質感の変化をより観察するようになった。このプロジェクトに沿って感覚を映像にする事は、自分の創作の映像撮りともどこか違う。良い息抜きと刺激になり、自身の創作にも影響したように思う。

④他の二人の映像日記を見て感じたことを自由に書いてください。また、二人のそれぞれの映像には、何かパターンがあると思いますか?

実際に知っている伊東歌織とまだ出会った事のないchorong。

二人が見ている世界は二人そのもののようだし、流れのある様子はダンサーならではなのではないかと思った。

伊東の映像には、動いているのにまるで静止しているような静けさを感じた。

チョロンの映像には、監督として、また被写体としての二人の存在(視点)があるように感じた。